Printer Friendly Version ヴチッチ大統領が二期目の大統領就任式に臨みました(2022/5/31) @ 9 June 2022 05:32 AM
 
5月31日、セルビア共和国第11回特別議会(第12回召集)において、アレクサンダル・ヴチッチ大統領が宣誓を行い、2期目の大統領就任を果たしました。
 
 
以下はヴチッチ大統領による演説の全文です。
 
「ご列席の皆様、総主教聖下、議会議長閣下、ボスニア・ヘルツェゴビナ大統領評議会代表閣下、スルプスカ共和国大統領閣下、各宗教団体の皆様、私の親愛なる友人でもあるセルビアおよびユーゴスラビア連邦共和国時代の大統領の皆様、各国大使閣下、憲法裁判所および最高裁判所長官閣下、首相閣下、内閣閣僚閣下、ヴォイヴォディナ自治州議会議長閣下、ヴォイヴォディナ自治州政府首相閣下、ご列席の皆様、親愛なる友人の皆様、国を導くということほど大きな名誉、大きな義務、大きな誇りというものはありませんし、また誇りを持ってその国の代表を務めることほど素晴らしい義務もありません。
 
そのような義務、責務、名誉、誇りを、私は選挙で市民の皆さんから受け取りました。選挙というものは納得のいく、多数派による意思表示ですが、私や皆さんの多くは、その多数派が望むようなやり方のみならず、常にセルビアの利益となることを実行していくという責務を再び与えられたのです。
 
私は全ての市民の大統領であり、全ての市民の為に働く大統領でありたいと考えています。職務を最優先し、特権などは一番最後のものとします。自分の為に何かを求めることもなく更に働き、また私たちのセルビアの為ならば全てを、文字通り全てを求めたいのです。
 
偉大な孔子は、理想を除いては、何に対しても妥協が可能であると言いました。私にとっての理想とは、セルビアとその国民の幸福です。これはまた私の2期目の任期の優先事項を決めるものでもあります。この優先事項は宣誓の前から公然かつ明確であったと思われますが、次のようなものです;平和、安定、意思決定の上での独立性、セルビアの自由、安全、健康、ヨーロッパ、そしてとにかく仕事、仕事、仕事というものです。
 
マルクス・アウレリウス皇帝の言葉を借りれば、セルビアはまさに私たちが作り上げたものであり、これからもそうあり続けるでしょう。それは、私たちの思考、夢、業績、理想、目標、意識、地理的・歴史的な位置に関する知識、そしてこれまでの歴史の中でしばしば起こったことではありますが、歴史と現実、地理と現実、そして空虚な欲望と現実とを決して混同することのないように、細心の注意を払って作り上げたものなのです。
 
今日私は、現代史の重要な時期に2期目を迎える大統領として、皆様にご挨拶する光栄に浴していますが、同時に計り知れない義務も負っています。今日、私が2度目に踏み出す任務ほど、重く、しかし崇高なものはありません。そしてセルビアがその長い歴史の中で数多くの犠牲者や犠牲を払って目指していた、自分たち独自の未来への道を歩み続けるという目標ほど、要求の厳しく、しかし同時に名誉ある目標もないでしょう。
 
私はこの世界の大半で、粗暴さと無作法が勇気のある行動とされ、冷静さと忍耐が臆病者の証左であると解釈される大前提がある時期に、この大統領職を引き継ぐことになりました。私たちは、誰もが大声で話しながらも、それらが聞こえる者は殆どおらず、ましてやじっくりと聞く者はさらに少ない時代に生きているのです。理性ある声は小さくなり、全人類の未来像はますます霞み、遠のきつつあります。
 
今日は恐らくかつてないほど、全世界が真実と正義とを切望しているのかもしれません。私たちの国の美しい国歌の初めの歌詞に織り込まれているのと同じ正義です。それなくして人間の尊厳や全世界の進歩はありえないという命題として、今も存在し続けているのです。私は常にそのような真実と正義のために戦うつもりです。なぜならそれ以上に困難な、しかしそれ以上に名誉ある道は存在しないのですから。
 
世界はもう二度と同じようにはならないかもしれません。しかし少なくとも私たちは、自分たちの原則を守っていく上で力強い、自信を持った、揺るぎない存在であり続け、またこれまでと同様に国家として人類共通の利益のために働き、様々な逆境にもかかわらず勇敢に前進し続けていくということを申し上げたいと思います。
 
これまでの歴史の中で常に異なる文明や宗教、文化の交差点に立ってきた私たちのセルビアは最も望ましい形で豊かになったのであり、これを十分に賞賛する賛辞などあり得ません。またこのような遺産がこれまで以上に強固なものとなるよう、私たちは断固としてこれを守っていかなければなりません。またこのセルビアでは、他人の利益や野心、征服と撤退といった道が交差し、そこには常に私たちの勝利や敗北も伴い、ひいてはセルビアの存在自体に深い傷跡を残してきました。多くの者が敬意も配慮もなく私たちのところにやってきては、この小さくも偉大な民族、そして小さくも誇り高きセルビアに対して、隠れた、もしくは公然の賞賛を残し、去っていったのです。
 
あたかもあのミロスラヴの福音書のように、私たちの国も奇妙で困難な歴史の道を辿ってきました。このセルビアに生きてきた祖先たちは何世紀にもわたってしばしば孤独に、しかし常にまっすぐに、最も困難とされた瞬間を乗り越えつつ強固なものとなっていったのです。歴史を通じて驚くべき人間的、統治的、芸術的、軍事的、道徳的、精神的な高みを示してきたこれら祖先が、現在と未来のすべての私達国民の中に、この不屈で自由を愛し、時には反骨精神ともなる心を織り込んでいるのです。
 
ここで現在起こっている物事を具体的に説明しましょう。世界は日々、私たちの目の前で劇的に変化しており、それもかつてないような速さで変化しています。ウクライナへの攻撃は、国際関係において大きな転換点となりました。例えばロシアは、彼らが言うには、欧米やハード・ソフトといった大国の支配を終わらせ、NATOの更なる拡大を防ぎたいと考え、また大国である中国は現状維持、つまり、侵すことのできない欧米の力や欧米以外の者が影響力を行使できないという現在の状況を望んでいません。一方で欧米は、世界における自らの優位性を維持したいと考え、それがゆえにロシアや中国といったライバルによる国際法違反というものを指摘し続けています。
 
ウクライナへの攻撃が国際法に違反していることは事実です。しかしそのようなことが現代の世界で既に何十回も繰り返されていることも事実であり、国際法の基準尊重を訴える重要な提唱者で、また今日の偉大な闘士とされている者は、しばしば欧米の列強諸国でした。そんなことは私達の国セルビアも最もわかりやすい形で証明することが出来ます。私達の国は1999年に国連安全保障理事会の決定なしに攻撃を受けました。私達の国が他国を占領するなどの行為を働くことが無かったにも関わらず、攻撃を受けたのです。この攻撃の後も私達の国は引き続き剥奪の被害に遭っています。国連安保理決議第1244号が存在し、その法的秩序というものが存在することにはなっていますが、彼らはいまだに私達の国の領土の一部を強奪し続け、自分たちが正しいとさえ主張しています。ここでもし私達が「私達の考えは違う」などと言おうものなら、もはや私達は未来と共にある存在ではなく、非民主的で現在を理解しない、過去にとらわれすぎている者として扱われることでしょう。これが他の誰かだったならば、その人はすぐに国際法による秩序やあらゆる機関を破壊する人物、世界平和を破壊する人物と見做されることでしょう。
 
私は国際法の原則に則りつつ行動し、国際法の違反行為を曖昧ではなく明確に非難することができる現在のセルビアを誇りに思います。しかしまた同時に、反西側になることも反露的にもならないセルビアも誇りにしています。私達の国ではドストエフスキーもシェークスピアも、ゲーテもヘミングウェイも歓迎されるのです。このような振る舞いがたとえ現代世界の国々の中では稀であったとしても、セルビアは誇りにしていいと思うのです。
 
私がこのようなことを言ったのは、何もここから何か実利的な要求を突き出せるものと考えているからではなく、他のすべてのセルビア市民と同様に、セルビア共和国大統領として素直に偽りなく自分の考えを述べたいと思ったからです。皆さん全てが知っていることを、私が知らないとは思わないでください。私も知っていますし、しばしば私が他の誰よりもよく知っていることもあります。他の誰よりも先に気づき、より深く考えることもあります。しかしそれで私たちの問題が解決されるわけではありませんし、これは将来の問題についても同じことでしょう。国を率いる上での手腕に求められるものは希望などではなく、可能性や現実を見る目なのです。
 
私は今日のヨーロッパで最も偉大なリーダーの一人とされる人物と電話で7時間にもわたって話をしたことがあります。その人物も一度じっくり私の話を聞きたかったのでしょう。私もコソヴォ・メトヒヤ州をはじめその他のバルカン半島の様々な地域でセルビア人が受けた仕打ちについて、この国の人々がどう思っているかを偽りなく語る必要を感じました。その偉大な指導者は私などよりもずっと聡明で、知識も豊富です。偉大な国を率いている人物なのですが、そんな彼は私の話を注意深く聞き、午前3時頃に私にこう言いました。「ではアレクサンダル、この辺りで切ろう」と。私は「親愛なる友人よ、あなたのご意見をお願いします」と応じました。すると彼はこう続けたのです。「君の話に出てきたこと全てについて賛成することはできない。しかし80%、いや、ひょっとしたら90%については君の言う通りなのかもしれない。しかし例えそうであったとしても、一体どうするんだ?君も国を率いる大統領だ。世の中にどれだけ多くの不正義があろうとも、決して変えることができないものが存在することを賢い君なら知っているはずだ。君が私の国の立場を変えることはできない。私達が後になって悔やむことはできても、それを認めることは絶対に無いだろう。大国の振る舞いとは常にそんなものだ。私達に後悔や反省の涙というものは存在しない。それは君達小国の為にあるようなものだ。唯一話し合われるべきことは君が国の将来を救うために何ができるのかだ。君の国の若者たちの将来に何を残せるのか、君が何を現実として受け入れることができるのか、そして君と私が何を一緒に築くことができるのか、といったことだ」。
 
 
私はこうして初めて西側の指導者から、直接的な表現ではないものの、少なくとも”過去に自分達が行った事全てが良かったものとは思わない。しかしもう水に流して欲しい"というようなニュアンスを聞くことができたのです。これはプラスだと思うのです。少なくとも私はあの夜、ある種の個人的な満足を得ました。無論、国にとっては何の意味もないことかもしれませんが。しかしあの偉大な指導者が言ったように、私たちは未来について取り組まなければならず、未来について考えていかなければならないのです。私たちの子供について考えなければなりません。私達、あるいは私達の両親や曾祖父といった世代が残したツケを彼らが支払う義務はないのですから。彼らの未来には可能な限り綺麗な世界を残してあげなければなりません。"明日、誰と戦争をしなければならないのか、どんな不安や問題を抱えることになるのか"といったことを考えなくてもいいような世界を残さなけばならないのです。
 
その為にも、私はまもなく新しい議会の議席が確定されることを楽しみにしていますし、今回の選挙に伴うあらゆるプロセスが近く完了することを希望します。私の大統領就任が5月31日になったのも、この日以外に宣誓式を行う日程がなかったのが理由なのですが、議席がまだ選挙以前の構成になっていることを理由に私がこの日を選んだなどと意味不明な主張を繰り返す人たちにはもう答える気もありません。何をどうしようが、必ず不平を言う人は出てくるものです。
 
新内閣の組閣は現在私たちが置かれている困難な状況を鑑みると非常に重要なものであり、これは今からでも私たち全員が一緒に考えなければならないものでしょう。私は国民から大きな支持を受けた人間ではありますが、私一人で出来ることはありません。むしろ仕事を行うべきなのは政府であり、選挙管理内閣のようなものではなく、完全な正統性を持った内閣ならより力強く仕事をこなしていくことが出来ると思うのです。
 
私達はこれから新たな制裁など実に様々な話にも対処していかなければなりませんが、ここでは再び私たちが被害を受ける可能性が出てくるので、欧州のパートナー達にこの問題での手助けをお願いしなければならないのですが、この問題を左右するのはもう彼らの意思のみとなっています。そのような事情もあるので新内閣は7月末までに組閣されることを期待してますが、セルビア共和国議会の新たな議席配分が確定され次第、議会に議席を持つ全政党の代表者と緊密に協議を重ねていくつもりです。
 
私は新たに発足する内閣が私の提言や懇願をある程度受け入れてくれるものと確信しています。また内閣首班もセルビア人だけでなく、ハンガリー人、ボシュニャック人、クロアチア人、ロマ、そしてセルビアという名のたった一つの祖国を持ち、私達と同様にこの国を無限に愛し、また私達と同様にセルビアを自分や子供たちの生活の場として考え、この国の幸福を願っているすべての民族の代表者たちを可能な限り多く参画させるような、少数民族包括型の内閣にするものと思います。
 
私はこのすべての少数民族の代表者たちに対して感謝の意を表したいのです。ただこの「少数民族の代表者たち」という表現ですが、公式的にも法的にも確かにそう表現されるのでしょうが、正直に言えば私は嫌いです。そこで言い換えれば、常にセルビアと共にあり、セルビアを助け、私たちと善悪を分かち合い、これまでに直面してきたあらゆる問題や災難を共に解決してきたこの素晴らしい市民の方々、多数派の民族に属さない方々に対して私はお礼を言いたいのです。
  
新内閣に期待すること、そして共和国大統領として私も特に力を入れていくことは、まず第一に「私たちの欧州統合の道」です。申し訳ありませんが、このようなことを言っても皆さんから拍手喝采を得られないとわかっているからこそ、私はこのことに最も多くの力を費やすつもりです。私は時々意地になったり、不機嫌になったり、生意気になったりしますが、しかしそれは何も自分のためにしているわけでも、何かポイントを得るためにしているわけでもありません。むしろ逆にポイントは失われてしまうでしょう。私はセルビアのために良い結果をもたらすと信じてそう振舞っているのです。
 
ヨーロッパとは聞こえのいい言葉ですが、もう手垢のついた言葉のようになってしまいました。毎日起きればこのヨーロッパを批判することも、攻撃することも出来るのですが、同時に午後や夕方になれば明日どうやって、どれだけの支援や援助をこのヨーロッパから得られるか考えるような有様です。確かに政治的な要求ともなるとそのヨーロッパも常に私たちに対してフェアであったとは言えません。しかし同時に私たちもまた彼らに対してフェアではありませんでした。EU内の納税者からのお金をもらうことはいとも簡単ですし、気持ちのいいものかもしれません。ありがとうの一言も言わなくて済むのならもっと素晴らしいことでしょう。私たちにとって都合のいい、気に入ったものだけを受け入れるのは確かに簡単ですし、気持ちのいいことです。しかし逆に私たちの気に入らない、批判に耳を貸すことになると、そうはいきません。
 
EUが聞こえのいい言葉の集合体となってはいけません。それは突然辞書に掲載されるようになった軽い存在などではなく、私たちの国是でなければならないのです。貿易や投資だけが理由なのではなく、それは私たち自身がそのような社会に属したいと希望するからこそであり、私たちは法の支配や社会の更なる民主化、メディアの自由といったあらゆる分野で実に多くの作業を行わなければなりません。もちろんEUが「セルビアでは異なる意見を聞くことが出来ない」と言ってくるのは大げさな指摘で、しばしばそこには彼らの政治的な思惑もあるのですが、しかし一方で、私たちにはまだ改善できるところがあり、それも彼らの為ではなく、自分たちの為に改善しなくてはならないとの指摘は、まさにその通りなのです。
  
それに従って話を進めると、今日私が手に取って宣誓したセルビア共和国憲法と、私たちにとって重要な政治問題であるコソボ・メトヒヤの問題に行き着きます。ウクライナでの危機に結び付けられてコソボ・メトヒヤの問題は今後、より盛んに提議され、その解決のための私たちの主張に理解を得ることはより困難なものとなるでしょう。これまで世界のどの側からどのような発言があったとしても、たとえば西側の指導者からどんな発言があったとしても、コソボ・メトヒヤは最近プーチン大統領が演説の中で触れたことで、今後より大きな、より重要なトピックになることは避けられません。
 
しかし彼らは今後も「コソボは例外だ。世界の他の例とは違うのだ」などと、ためらいもなく繰り返すことでしょう。しかし彼らがそんな言葉を繰り返すごとに、実は彼らもそのおかしさに気付いていることがわかります。だからこそ、私たちはこれまで以上にこの問題に向き合わなければならないのです。本日この議会で私の話に耳を傾けていらっしゃる方々をはじめ、すべての方々にこうして真実を話していることを申し訳なく思います。「私には関係のない話だ。私の問題ではない」などと10回も私に繰り返しておきながら、政治の世界ではベテランに入るこの私が本当にそんなことを信じるとでも思っているのでしょうか。この話のおかしさに彼らも気付いていることが、私にはよくわかります。私たちセルビア人として生まれた者、そしてこの私たちの国セルビアや、そこに住む一人一人にとっては尚更おかしく感じられます。私たちは毎日のように自分たちの利益について少しも考える暇を与えられず、一方で彼らの利益を満足させなければならないというプレッシャーを感じているのです。私たちがどれだけ妥協を望んでいるかを話しても、そこに耳を貸す者が存在しないのです。
 
しかし一方で、これはセルビアでは誰も聞きたくないことだと思いますが、私たちは妥協を示さなければなりません。私たちはその妥協を求めて戦っていかなければならないのです。コソボ・メトヒヤに住む私たちの国民を守らなければならないのです。私たちは今もコソボ・メトヒヤに住み、セルビア国旗を愛し、セルビア語を話す私たちの国民、年長者、その子どもたちの生活を守っていかなければならないのです。だからこそ、私たちには妥協を示す必要があるのです。
 
ただし今日そのコソボについて話をするならば、彼らは未だにヴィソキ・デチャニ修道院に帰属するものを修道院に返還するよう命じた彼らの機関による判断を実行せず、それどころかあまり気にかけていない様子です。またプリシュティナにいるアルバニア人の政治屋たちがセルビア人に対してセルビアの大統領選挙や議会選挙での投票を認めなかったことをクイント諸国(米英仏独伊)がその声明で初めて素直に批判しました。しかしこれも僅か半日の間続いただけで、その翌日には彼らはまたそれまで自分たちがしてきたことを続けています。これは彼らには常にクイント諸国からの支持があるからで、これが変わる奇跡などはまず有り得ません。
 
そして、そのような事情にも関わってくる問題がここで出てくるのです。私たちが、「ちょっと待ってください。私たちに対しても同じようにロシア連邦に反対することを求めておいでなのですか?我々の伝統的な友好関係をすべて脇に置き、現在でも良好なその友好関係のお陰でガスの供給や供給の安定性にまったく問題がないことを脇に置けって言うんですか?あなた方は毎日のように国際法の最も大切な原則として領土保全の尊重、領土保全の尊重と唱えているのに、一方で私たちに対しては“あなた方セルビア人は国際法の最も大切な原則など忘れて、現在世界で起こっていることを理由にロシア連邦に対して私たちより厳しく臨んでください”などと言っているんですよ?」などと反論しようものなら、一体そこにどれだけの理解が集まり、私たちの主張がどれだけ合理的に受け入れられるのでしょうか。実際に国連の安全保障理事会で私たちの国の領土保全が問題となった場合は味方してくれないのです。“あなた方の国の領土保全などは忘れた方がいいですよ”というのが彼らの実際の立場ですからね。
 
私はただこれらの国の代表者たちに対して、セルビアに対して少しは公平であるように求めたいのです。そして私たちに向かって「あなた方の困難な立場を理解しているが、正直に言いましょう。我々はあなた方に強要しているのです」と明言するように求めたいのです。これなら私たちも理解できますから。もちろん、私たちが言うとおりにすることはありませんが、何が正義だとか、公正だとか、理にかなったものだとか言われるよりも遥かに偽善的でない言葉です。もし彼らが行っていることが本当に公正で理にかなった、正義のものであるならば、あのように躊躇もせずにセルビアの領土保全を破壊することなどありえなかったでしょう。
 
幸か不幸か、私は人に気に入られるためにはどんなことを口にしたらいいのか知っているつもりです。繰り返しますが、私は心にあることを素直に口にしているまでです。私には心が無いなどと思っている人も少なくないようですが、私はこのような事情を多くの人びとよりも知っているつもりです。私が一番知っているとは言いませんが。しかし明日には私たちは十分な燃料、食糧を確保し、また新しい病院や工場を建設し、欧米のパートナーたちと最高の関係を維持していかなければなりません。欧州統合の道をしっかりと堅実に、粘り強く、力強く歩んでいかなければならないのです。
 
新しい内閣は速やかに発足されなければなりません。来るべき冬に緊急に対処し、セルビアでのエネルギーなどの供給の確保が急がれるからです。現在の状況は憂慮すべきものであり、だからこそ出来るだけ早く内閣を発足させ、これらの課題に専念できるようにしなければなりません。多くの財源を確保し、冬の間のセルビア市民の安全を保障しなければなりません。
 
政府や財務省、セルビア国立銀行がこれまで数々の素晴らしい仕事を行い、また国の安定を守ってきたおかげで、財政もその安定を保っています。この安定した財政を維持することは、私たちにとって非常に重要です。
 
それに食料。私たちは食料を十分に持っていますし、これからも変わることはないでしょう。またセルビアの市場を不安定化しようとする試みはすべて失敗に終わるだろうと言わせてください。私たちは誰かを騙すような真似などしないからです。私たちが「砂糖、油、小麦、ひまわり、トウモロコシ、そしてその他のまともな、人間らしい生活に必要なものはすべて十分にある」と言うとき、それは本当のことを言っているのです。
 
セルビアの進む道には実に大きく、重要で、且つ本質的な改革の為の諸課題が山積しています。それは新しい、より真剣で責任あるエネルギー政策から、セルビアの将来の発展の基盤、柱となるべき教育や科学といったものまでを目指して、実に多くの分野を対象とすることになります。特に我が国の教育システムにはより広く包括的で、また納得いく形でデュアルシステムを導入する必要があるのですが、新たに発足する内閣に対しては世間の反応を恐れないよう忠告したいと思います。デュアルシステムの導入はこれまで誰もが避けてきたテーマでもあるのですから。確かに次の給料がいつになるのか、財務省がどれだけの金を出してくれるかをただ待つことほど楽なものはありません。ドイツやオーストリア、スイスといった国々に自分たちの国がどれだけ遅れをとっているかを考えることもなく、自分のことを棚に上げて他人を変えることだけを考えていれば本当に気が楽なものです。
 
しかし私たちは前へと歩み続けます。たとえば医療は、私たちの国家の発展と存続の柱になりつつあり、国家は医療への更なる投資を続けていきます。さらにデジタル化やロボット、人工知能の開発を推し進め、また気候変動や環境保護への配慮も進めていきます。私たちはエネルギー安全保障、安全、環境保護といった分野でノルウェーからEU、米国といった多くのパートナーたちと数々の重要なプロジェクトを開始しましたが、このような協力はさらに強化させなければなりません。
 
また私たちの軍についてですが、私はその最高司令官としての影響力を行使しながら軍が安全と平和、治安や安定を十分に保証できる、より強固なものとなるように努めていきます。この数カ月の間、私たちは「セルビアが誰かを攻撃する」、「セルビア軍が誰かを脅かす」などという話を数え切れないほど耳にしてきました。現在のウクライナでの危機が始まってから96日になりますが、この間何日にも、何週間にもわたって、そのような嘘が繰り返されたのです。つまりこの96日間、毎日100回も、また100箇所で、そのような嘘が人々に読まれ続けたのです。そして96日が経過した今、まだ誰からも私たちに謝罪はありません。まだ誰も「初日から嘘をついていたことを謝りたい」などと言ってこないのです。私はそんな時期にあっても地域安定の要として振る舞い、誰かを危険に晒すこともなく、独自に自分の自由、領空と領土を守る権利以外は誰から何かを求めることもしなかったセルビアに感謝したいと思います。
 
親愛なる友人の皆さん、私はセルビアが軍事的中立を今後も堅持していくものと確信しています。ただし私たちは政治的には中立ではありません。私たちは欧州統合の道を歩んでおり、その義務を理解しています。しかし、軍事的中立は守っていかなければなりません。私たちの国の周囲はすべてNATO加盟国かNATOが駐留する地域です。セルビアを除けば、NATOと関わりのない領土や構成体、土地は存在しないのです。
 
いわばセルビアは小さな島のようなもので、一部の人びとはそれを問題として提議したり、引き合いに出したりします。しかし過去も未来も祖国を守るためなら自分の命も顧みない勇者の遺伝子を受け継ぐ市民を信じ、どの軍事ブロックへの帰属も望まず、ただ自分たちの国境線と国土を守り、自分たちの兵士を持ち、また自分たちの空を守る権利を持ちたいと願うことのどこに問題があるのでしょうか?今日、セルビアが自国を守るために割くことの出来る財政力は以前よりも強大なものです。また今日、セルビアはもはや誰かの格好の餌食になることはありません。私たちは以前も勇敢さを兼ね備えていましたが、残念ながら1999年には格好の餌食となってしまいました。
 
そんなセルビアを私は誇りにしています。誰かを攻撃することも、また脅かすこともないのです。しかし、1つだけ保証しましょう。それは、かつてのように何者かが地政学的な利益を求めてセルビアへの侵入を企てることがもうそう簡単には起こらないということです。これは何者かが私たちに対して抱く好き嫌いの感情とは関係なく、また現在ではこの地域への地政学的関心がかつてほど高くないなどといった理由から言っているのではありません。それはセルビアが強くなったから言えることなのです。このようにセルビアが強くなったのは自国の軍隊に投資し、自国の軍隊を信じ、また中立の道こそがセルビア共和国とその国民にとっての未来への道であることを知っているセルビア国民、市民の皆さんのお陰なのです。
 
もう一つここで重要なことは、市民の給与と年金の増加です。インフレに吞まれてはいけません。主に輸入インフレによってですが、市民の所得が吞み込まれてしまうような状況を許してはならないのです。私たちは市民の生活水準向上のために戦ってきました。新たに発足する内閣もこの問題に真剣に取り組まなければならず、年金も給与に追随するようにしないといけません。 
 
そしてもう一つ重要なことがあります。これなくして私たちの未来はない、とも言えるものです。これは誰もが口にするテーマですが、ちょっと自分たちのことを例に挙げてみましょう。これはこれまで大統領も首相も、大臣も批評家も、もう文字通り誰もがテレビに出演すると口にしてきた言葉です。それは「見てください。私たちの国の村々は空っぽです」というものです。「村に帰れ」、「村に行ってみろ」といった訴えがこれに続くのですが、結局のところ、私たちは都会での生活が素敵だということに気づくのです。都会生活に馴染んでしまうと無理もありません。これはヨーロッパ中、世界中のトレンドで、今後も変わることは無いでしょう。ただし、都会に住む人が村に住む人よりも悪いということはありませんし、その逆に村に住む人が都会に住む人よりも悪いということもありません。しかしこれまで実に多くの努力がなされてきたにも関わらず、このようなトレンドが変わることはまず無いでしょう。
 
そしてまったくこの村の話と同じように、今度は子供の話がされます。「子供が何人いる?子供が足りない!畑を引き継がせる子供がいない!」といったものです。そこでその問題に関して何かを発言すると、今度は出生政策、あるいは出産奨励政策を進めることで誰かの権利を否定したと必ず批判が起きます。しかし怒らないで欲しいものです。今は子供に関する番組や記事よりもペットに関するもののほうが人気があるようなご時世ですからね。
 
セルビア大統領としてこんなことを言わなければならないのは非常に残念で、これまで他に誰もこんなことを言う勇気が無かったのが悔やまれますが、誰であろうとこんなことを言えば非難の嵐があるものです。私はこれまで何百回も非難されたことがあるので、何の問題もありませんが。確かにペットは可愛いです。犬も猫もオウムも、村であればたとえば馬も、どれも素晴らしい存在で、飼っている人はそれぞれ自分なりに愛していることと思います。でも私たち人間は子供を増やさなければ生き残れない、つまり未来がなくなってしまうのです。何を言われようと構いません。子供を増やさなければ私たちに未来はなく、私たちの国も存続できないのです。
 
だから私は新内閣に引き続き出生率向上のための施策を行っていくことを期待するのです。これはなにも誰かを侮辱するわけではありません。子供を産めない人や子供を産まないという選択をする人もいますが、しかし私たちは社会として、国家として、国家を延命させる人々を確保しなければならないのです。市民がいない国家など存在しないのですから。
 
ここで別の話題へと移りますが、このテーマにはあとで再び触れます。ここで隣国との関係やそこで私たちがしなければならないことについて少し話したいと思います。
 
この分野でこれまで私たちが達成したことは非常に重要なものです。ハンガリー人の友人たち、そしてハンガリーという国とは、歴史的にみても最も緊密な関係を築いており、このような関係を今後も維持し、また育てていかなければなりません。またルーマニアやブルガリアとも非常に良好な関係を保っていますし、より広い地域に目を転じれば、ギリシャやトルコとも良好な関係を保っています。私がこれからも誠心誠意主張していくつもりの「オープン・バルカン」構想のおかげで、北マケドニアやアルバニアとはおそらく史上最高の関係を築けていると思います。
 
特にセルビア正教会、ポルフィリイェ総主教聖下には、極めて賢明な決断を下され、マケドニア民族との間の友情と兄弟愛にさらに貢献されたことに感謝したいと思います。聖下、これは日記ではなく、歴史に書き込まれる偉業だと思います。
 
総主教聖下のおかげで、そして私たちが行った政策のおかげで、今日セルビアは北マケドニアに住む人々の間で最も人気のある国となり、また私たちは彼らを兄弟として感じています。私たちの関係においてはもはや何の問題もなく、それは私たちが達成できた実に素晴らしい成果だと思います。
 
私達のアルバニアとの関係はより良い、より強固なものとなっています。私たちが今特に注意を払わなければならないのはザグレブとの関係、つまり対クロアチア関係です。ここでは多くのことを変えなければなりません。いい加減に過去の出来事について私達が同じ方法で見ることはあり得ないこと、つまり歴史観が異なることを認め、しかし未来については同じ眼鏡、同じ双眼鏡を見つけ、一緒に何ができるかを考えていくことが必要だと考えています。ベオグラード、そして大統領府の門は、ザグレブとの良好な対話、話し合いのためなら常に開かれています。
 
これと同じことをサラエボの政府との間にも求めています。彼らは私たちが常に国際法に基づく利益、つまりセルビアの国益やデイトン合意の遵守、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ憲法の遵守、そしてボスニア・ヘルツェゴヴィナの領土保全を求めていることを知るべきです。またデイトン合意については3民族全ての同意なしに変更されることは許されず、また当然ながら私たちはスルプスカ共和国と共にあり、彼らとの関係をこれからも更に発展させ、可能ならいつでも私たちは恥じることなくスルプスカ共和国を助け、またそれによって誰かを危険に晒すこともなく、誰に対してもいつでも連帯と援助の手を差し伸べる用意があるということを知るべきなのです。
 
ちなみに私の父親はドリナ川の向こう側の出身で、私はたまたまベオグラードで生まれています。ドリナ川の向こう側に住むセルビア人たちはいつも、セルビアの人たちはスルプスカ共和国がどれほどセルビアを愛しているか理解することは出来ないと言っています。しかし私は今日、特にスルプスカ共和国からの来賓の方々を前に、セルビアの人々がスルプスカ共和国を愛していることを疑う必要はなく、またその愛の強さはスルプスカ共和国がセルビアを愛しているのと全く同じものだと言いたいと思います。
 
また私たちにとって重要なことには、ボシュニャック人との関係もあります。数々の政治的な意見の相違があっても、また時として差し伸べられた手を拒絶するような人がいても、私たちは良好で友好的な、また親密な関係を築かなければなりません。私たちの国にも多くのボシュニャック人が住んでいるので当然のことです。またプリボイであったような出来事は二度と繰り返されてはなりません。
 
ここで彼らがどれほどこの祖国を愛しているのかがよくわかる話をひとつ披露しましょう。私たちが何十年もの歳月を経てようやく高速道路網や鉄道、病院や工場といったものを国内に建設できるまでに成長したように、私たちの国は37年を経てようやくヨーロッパボクシング選手権で2つの金メダルを獲得することが出来ました。ただここで、私たちは1つのメダルを逃しています。
 
その人物はプリイェポリェ出身の男で、マミッチかメミッチという苗字でしたが、すいません。彼も怒らないと思います。彼はボシュニャック人なのですが、セルビアのためにリングでは心をこめて激しく戦いました。試合はエレバンで行われた選手権でのものでしたが、これは皆さんにも観ていただきたかったです。もし彼がメダルを獲得したのなら、そのメダルの色に関係なく彼はきっと誇らしげにセルビアの国旗を自分に巻いたことでしょう。私たちはこのような私たちの兄弟とも言うべきボシュニャック人をはじめ、この国のために戦う全ての人たちを誇りにしなければなりません。彼らと共に未来を築いていかなければならないのです。さて、ここで私はちょっとセルビア人らしく、スパイスを効かせた話をしたいと思います。私たちもそんな話が好きですし、そもそも私たちセルビア人は陰謀論が好きですからね。彼からメダルを奪ったのはジャッジです。ジャッジが投票で彼を敗者としたのです。
 
ただ私たちも世界全体を変えることはできません。あるがままを受け入れ、その中で自分の居場所を探すしかないのです。私たちに出来ること、私たちが今後も続けていきたいこととは、自分自身を変え、また国のために何かを築いていくことです。つまり文字通り、科学、教育、健康、経済、インフラ、スポーツ、文化といったあらゆる分野で成果を築いていくことなのです。
 
また私たちは今後も数多くの建造物を築き続けることでしょう。作家イヴォ・アンドリッチによれば建物は、それが位置する地域の風土やその土地が持つ意義を変えるだけでなく、それを利用する人々との間に生物学的な深い絆を持つのだそうです。建物と人間の居住地の間には、親密な、しかし目に見えない、複雑で漠然とした繋がりがあり、絶え間なく互いに影響し合っているとのことです。人々は個人の行為を通じて建物のイメージを形成しますが、そこでは彼らの奥底にある、しばしば無意識の願望や性格といったものによって建物の特徴が形付けられます。こうして出来上がった建物はゆっくりと、しかし絶えず人々の性格と習慣に影響を及ぼし続けていくのです。この偉大な作家によると、我々は自分自身と祖国を建設しながら、より良き存在になっていくとのことですが、これは構造的な建物だけでなく、これまでに私たちが築いてきたもの全て、そしてこれから築いてゆくもの全てにあてはまるのではないでしょうか。
 
そしてこれこそが今回の私の最後の任期にて重要な目標となるのです。つまり大統領の座を去る時に、このセルビアが私が大統領の座に就いた時よりもより良き国となっていることが実感できるようにすることなのです。その目標の実現のために、私が犠牲にしないものはありませんし、私が実行に移さないこと、あるいは私が捧げない努力といったものは存在しません。なぜなら理想の実現に妥協はなく、理想だけが妥協を許さないものだからです。理想以外のものはすべて妥協で解決できます。妥協とは素晴らしい言葉で、何も醜悪な言葉ではありません。こんなことを申しているのも、私にとっての唯一の理想がセルビアであるからなのです。
 
セルビア共和国憲法とミロスラヴの福音書に手を置くことで、私は大きな責務という重荷を背負うことになります。これは、今の世代のセルビア国民に対する責任だけではなく、その偉大な先人たちに対する責任でもあり、また特にこれからの世代に対する責任でもあるのです。偉大なるニェゴシュはこう言いました。「後の世の人、行いを量る」と。
 
私は、私たちが現在手掛けている政策の数々が時の試練に耐え抜き、これら政策の直接的な参加者や同時代の人々が必然的に抱く感情から解放されるであろう後世の人びとが、歴史的な距離を置いたところから私たちが今生きている時代に対して「セルビアに安定と成長をもたらした時代」との客観的な評価を下すものと信じています。 
 
親愛なる皆様、最後に改めて皆様に感謝申し上げたいと思います。本日この場においでの、前の議会と新たな議会の議員の皆様にも御礼申し上げます。なぜなら、皆さんはこのセルビアに偉大で、また重要な変革をもたらしてくださったからです。皆さんは勇気をもって「すべての権力を私たちの手に握らせてはいけない。司法は独立したものであるべきだ」との声を上げました。そんなことを口にしただけではなく、実行に移したのはあなた方だけです。このコロナ禍の時代に、国民を救うために数々の鍵となる法律を制定したのはあなた方です。セルビアの財政への保護や保全の施策が求められた際、鍵となる対策を講じたのはあなた方です。あなた方は、私たちの国民と市民のために実に多くの良き政策を施行なされました。日々の批評家ではなく、歴史が皆さんを評価することでしょう。
 
我が国の発展に多大な貢献をなされ、国家とは何かを知り、今日の私の就任式への出席をもって、ひとたび国家とは何かを学んだ者は決してそれを忘れることなく与えられた義務の遂行に邁進し、国家とその利益は個人の利益よりも優先されなければならないという基礎たる教えを常に堅持することの大切さを示してくださった、セルビア共和国とユーゴスラビア連邦共和国の元大統領の皆様に感謝したいと思います。今日ここにおいでいただきましたことに改めて感謝するとともに、皆さんが我が国の為にしてくださったことに私は限りない敬意を表します。
 
またスルプスカ共和国の親愛なる友人の皆さんにも感謝を申し上げます。ジェリカ、ミレ、この5年間、私はあなた方と一緒に実に多くの仕事をしてきました。私たちの民族のため、実に多くの良い仕事ができたように思えます。確かに中には間違いもあったでしょう。時にはあなた方とは異なった私の意見に耐え、またセルビア民族、そしてセルビア共和国とスルプスカ共和国の為になるならば、すべての問題で私たちの意見が同じである必要はないことを理解していただいたことに改めて御礼を申し上げます。私の意見を辛抱強く聞いていただいたことにも感謝申し上げます。
 
総主教聖下、いつも私たちセルビアの民と共にあり、善も悪も分かち合っていただいていることに感謝申し上げます。
 
またこの場を借りて、これまでの5年間決して楽ではなかった私の家族に対しても、お礼を言いたいと思います。これからの5年間も決して楽ではないでしょうが、今日ここで泣き言を言うつもりはありません。ただ、ダニーロ、ミーリッツァ、ヴカンの3人を限りなく愛していること、そして彼らがいなければパパは何もできないことをここに伝えたいと思います。
 
以上のことを胸に、私はナチスの手による爆弾が祖国に降り注ぐ中、あの美しい女性、レベッカ・ウエストが行ったように、神に祈りを捧げることにします。「主よ、私にセルビア人のように振舞えさせ給え!」。セルビア万歳!
 
 
出典/写真: https://www.predsednik.rs